2005年11月23日
エリッククラプトンとは - 生き残った神様
生まれながらにして父親がいないクラプトン少年は、
母方の祖父母に預けられた。
中性的なルックスも災いし、石を投げつけられるほとイジメられ、少年はどんどん内気になっていった。
そんな青年を見ていた祖父は、ギブソンのアコースティックギターを買ってあげる。ニキビ面の晩生な青年はギターに夢中になる。
ロック喫茶でチャックベリーやブルースを聴き酒をのむような学校生活。
学校の放課後にギターを仲間内で演奏するようになってから、
みんなからの注目をあびるようになる。
どうしても黒人のような音が出ない。
白人はどうしたってブルースはできないんだ。
これが彼の原点だった。
●エリッククラプトンのキャリア
1945年3月30日イングランド サリー州リプリーに生まれる
1963年 まずはルースターズに在籍
その後ケイシー・ジョーンズ・アンド・ジ・エンジニアズに参加。
そしてヤードバーズに迎えられる。
1965年 ヤードバーズ脱退後、ジョン・メイオール・ブルースブレイカーズに参加。
このころクラプトンは神だともてはやされる。
1966年 クリームを結成。
1969年 ブラインドフェイスを結成。
1970年 デレクアンドザドミノスを結成。
その後ヘロイン中毒により2年間を棒にふるものの、
1973年 レインボウズコンサートで復活。
それからはソロで活動。
1980年代にはアル中、交通事故、胃潰瘍、愛妻パティとの別離を経験。その後、1990年代初めにはイタリア人女優との間に設けた、クラプトンにとって初めての子供が、ニューヨークの高層マンションの窓から転落死。
20世紀末頃から引退をよく口にするようになった。
「来日は今回が最後」発言について「『最後』という言葉を使うと、客が沢山入ると思った。」と本人が言っているらしい。
[PR]エリッククラプトンのお宝グッズを手に入れよう!
月に最大100個以上集めた非売品お宝グッズ入手極秘マニュアル
[PR]エリッククラプトンの動画をダウンロードしよう!
タダで入手 〜音楽、映画、ゲーム他が無料で手に入る方法〜
●エリッククラプトンのディスコブラフィー
・ファイブライブヤードバーズ 1965年
・ジョンメイオール&ザブルースブレーカーズウイズエリッククラプトン 1966年
Bluesbreakers With Eric Clapton
・フレッシュクリーム 1966年
・カラフルクリーム 1967年
・クリームの素晴らしき世界 1968年
・グッバイクリーム 1969年
・スーパージャイアンツ 1969年
スーパー・ジャイアンツ・ブラインド・フェイス
・デラニーアンドボニーオンツアーウイズエリッククラプトン 1970年
オン・ツアー・ウィズ・エリック
・いとしのレイラ 1970年
いとしのレイラ
・エリッククラプトン 1970年
プロデュースはデラニー&ボニー。
ブルースパワーはレオンラッセルの曲。
ソロ
・レインボウコンサート 1973年
Eric Clapton's Rainbow Concert
・461オーシャンブールバード 1974年
461オーシャン・ブールヴァード+16〈デラックス・エディション〉
・ECワズヒヤ 1975年
・安息地を求めて 1975年
・ノーリンズントゥクライ 1976年
・スローハンド 1977年
・バックレス 1978年
・ジャストワンナイト 1980年
ジャスト・ワン・ナイト~エリック・クラプトン・ライヴ [Super Live 1470! シリーズ]
・アナザーチケット 1981年
・マネーアンドシガレット 1983年
・ビハインドザサン 1985年
・オーガスト 1986年
・クロスロード 1988年
・ジャーニーマン 1989年
・24ナイツ 1991年
・アンプラグド 1992年
・ラッシュ 1992年
Rush: Music From The Motion Picture Soundtrack
・フロムザクレイドル 1994年
・クロスロード2 1996年
アンソロジー 2 : ライヴ・イン・セヴンティーズ Crossroads 2
・ピルグリム 1998年
・ザクラプトンクロニクル 1999年
・ライディングウイズザキング 2000年
・レプタイル 2001年
・ワンモアカー ワンモアライダー 2002年
・バラード 2003年
・ミーアンドミスタージョンソン 2004年
・セッションズフォーロバートJ 2004年
・バックホーム 2005年
あなたはそれでもつまらない音楽ブログが人気blogランキングの上位にいることを許しますか?





























